ロックシンガー 伊津美 昴 IZUMI SUBARU 公式サイト

伊津美昴から大切なお話

2014年10月06日 伊津美主義 BLOG

まずはブログという形ではずいぶん久しぶりになります。

明日の久しぶりの復帰ライブに臨む前にハッキリしておかなければならないことがあり、記します。

去年から私事ながら、本当にいろいろなことがありました。
時系列で書きます。

もしこのサイトを、まだ俺を応援してくれる人がいるなら
心をこめて、書きます。

..

ソロアーティスト伊津美昴として活動しはじめた2012年から
地道に配信シングルや動画などを制作してきましたが

忘れもしない去年2013年9月
俺は心労で、ブっ倒れました

病名は「パニック障害」
まさか自分に精神の病がふりかかるとは。

そこから薬での治療や、心や身体の見直しがはじまりました
それでも発作や不安障害、そして不眠で気が狂いそうになる夜を、どうにか越えてきました。

それから今年2月、思いきって断薬をしました、薬により体調や神経が改善されることはなく、逆に社会復帰をするために、でした。
断薬した離脱症状は想像を絶する苦しさで、死を味わいました。

この時期に、数年間、活動をともにしてくれていた相方DJ Kontaこと
コンちゃんに
俺は心身の限界を感じ
「もう東京での音楽活動は終了しようと思う。」と伝えました

彼は
「自分はこれまで伊津美さんについてきた。伊津美さんが音楽を、東京での生活をやめるなら自分も引退する」
そう言ってくれました。

コンちゃんには公私ともに支えられ、本当に助けられてきました
今でも一生の仲間だと思っています。

ですが、そんな一生の仲間が引退し地元宮城に帰ったときにホームページで、コメントのひとつも言えず
みなさんには(このサイトを見ている人)本当に申し訳ありませんでした
本当に苦しかったけど、、
ただただ、本当に申し訳ありません。

その後、俺たち二人は
4月にフルアルバム、フロムコンクリートジャングルを発表してから
俺もコンちゃんもそれぞれ地元に帰り、生活を改めよう。なんなら音楽は趣味として楽しもう。
そういう方向で4月末に向かっていました。

そんなタイミングで俺には
「地元山口県のライブハウスに就職しないか?来ないか?」
という誘いをうけました。

自分としては東京での、一線での音楽活動に限界を感じ
心身も異常な状態であったため
「ありがとうございます..」
そう先方に伝え
家族にも「もう帰るから」
そう伝えました。

..

それからぼんやりと
この上京してから12年間のことを考えていました。

たくさんの人と出会ったなあ
たくさんのライブをしたな
たくさんの街をみた
たくさんの嬉しいこと、かなしいことあったなあ

..天井を見る日が続きました。
でもこれで良かったんだと、すべて丸くおさまるんだ、と。

そして、心の整理がついたとき
住んでいたマンションの解約の手続きに不動産屋に向かう直前

俺は..

..

わんわんと声をあげて泣きました。

「..悔し..い..」

こんなに気が狂うぐらい泣いたのは
母親が死んだときと同じでした。

その日から

悩みに悩みました。、、今更?

ですが、

..今更、船は降りれない
それに体調もおかしい..
..音楽への意欲もわかない
人生の不安もハンパない..
もう希望もない..
..まして、もう仲間もいない

なのになんでこんなに悔しい..

なのになんでこんなにやり残したことを感じる..

..分からない..

冷静になろうとし、
山口に戻ることと東京に残ること
ヤボな話、メリット、デメリットを
紙に書き揃えて客観的に見ました。
けど、それでも答えがでなかった。

俺の中で「東京に残る」というのは
「音楽活動を一線でやること」
東京ではゆっくり腰掛けることじゃない。
でも山口に戻って後悔したらどうする?

..

約束の4月末、相方コンちゃんは
地元に帰ることになった。

そんな中、往生際わるく
俺はまだ、、悩んでいた。

バンド未成年で使っていた機材車はどうするのか?
維持費のこともあるし、車をどうするかで話し合い
いずれにしても車は、コンちゃんの引っ越し用に使ってもらい、そのまま宮城県に乗って帰ってもらうことにした。

..毎日毎日悩んだ。

しかし、変なタイミングで東京では

先輩バンドに加入しないか?と誘われたり

とても尊敬する音楽関係者と会う機会があり、活動の助言を受けたりしていた。

内心は、、俺はもう帰るんですが..
そんな気持ちで。。

そして一番世話になってる先輩ミュージシャンに今の状況を伝えた。

先輩からは
「いま正念場じゃねえの?いづみんは東京で音楽やったほうがいいよ」

..ますます分からなくなった。

..

逆に、山口からは、心配してくれる友達や新しい職場となるところと連絡を取り合っていた。

「伊津美が帰ってくるの楽しみにしとるよ!」
そう言われるとなぜだか胸が苦しくなった。

そんな中、いよいよ
相方コンちゃんが発つ日がきた。

彼の家財がパンパンに入った機材車がウチにきて
最後の別れをするまえに、コンちゃんに

..

考えて考えた

..俺の進退を伝えた。

..

..

..俺は

..まだ

..帰れ..

ない。

..やれてないことがある

やり残したことがある..

これで山口に帰っても

俺は後悔するだろう..

テレビで東京の映像なんて見たら..気が狂うだろう..

コンちゃんが運転する機材車の
赤いテイルランプは一生忘れない。

..

腹が決まり

..

そこから

俺は病気で無職だったから、、

仕事を決めた

貯金も底をつきはじめていた

仕事は

警備員の面接をうけた

まさかまたこっからかよ..なんて思いで

不動産屋には継続で、と伝えた。

家族には、、

申し訳ない、まだぶら下がらせて欲しい。そう謝った。

..

山口のライブハウスには..

これは
本当に申し訳ないことをした..
償っても償いきれない

俺はたくさんのでたらめと
裏切りと、いい加減で
人を振り回した。

こんな自分を変えたい..
ここ数ヶ月、そんな気持ちです。

..

ちなみに先輩バンドに加入はなくなった。リハーサルは重ねたんだけど、、
やはり自分の歌を歌いたい。
そう思ったから。

そんな矢先、明日10/7のイベンターの野村さんに出会った

素晴らしいイベントを企画されていて、数年前から実は出演したかった

復帰ライブはこれしかない
そう思った。

..

東京に残る。

地元から、たった?1000km離れた場所だけど

本気の「やる」という覚悟がないと

この街は潰される

流される。

..

勝算?

ないよ

コネクション?

期待してない。

でも俺は

自分を信じて

自分の力を信じて

そして原点に立ち返ってみようと思った。

気持ちを歌にして、歌を歌う

1人のお客さんを

10人のお客さんを

100人のお客さんを

集めたことないけど、1000人、10000人を..

仲間を

俺を信じてくれる仲間を

..集めたい

また、いつかみたいに
がむしゃらでも自信に満ち溢れた日々を送りたい

去年、病気をくらってから
かなり記憶力がなくなったり
ちょっとしたことで大粒の涙がでたり

なんかやっぱ心身、変なんやけど

でも、もともと変やから

たぶん

それさえも自己表現にしようと。

そんな気持ちで一歩一歩、つくります。

..

まずは明日の吉祥寺で
去年一年間からの悲しみも絶望も

すべて解き放つ歌を歌います。

アコースティックトリオにて挑みますよ。

ギターの野中くん、ピアノの紅さん、協力してくれてありがとうございます。

まずは仲間みっけました。

..

支えてくれたあなたと

俺自身へ

心から。

ステージに立ちます。

2014.10.06 伊津美